さっき、フジテレビの番組でアツキヨ(Wiki)というユニットが紹介されていた。。話の内容はというと、耳に先天性の障害をもった女性と路上ライブをしている男性の7年間の軌跡。以前、24時間テレビにも出演していたので知っている人も多いかな。俺は数年前に北千住の駅前で彼の路上ライブを見ている。その日も今日と同じように雨が降っていた。

 

いつもは通過するはずの北千住駅を降りた理由は覚えていないけど、改札を出たあたりから微かに聴こえる歌声に導かれるように階段を降りたのは記憶している。雨が降っていたこともあって、立ち止まる人はほとんどいない中、それでも彼は歌い続けていた。人並みに流されるように通り過ぎようとする俺の足を止めたのは「kiseki もうすぐおこる奇跡を信じて」という歌。。。。。

 

 

「きっと誰もが 奇跡を起こす力を持っているよ あきらめちゃ駄目さ」

 

 

今日 数年ぶりにこの歌を聴けたことで、弱っていた俺の心に力が注がれたような気がする。どんなことでも諦めたらそこで終わりなんだよね。

アツキヨ 7年間の軌跡(奇跡体験 アンビリーバボーより)


 2001年11月。佐々木厚は歌手になる夢を持って路上ライブを繰り返す毎日を送っていた。だが始めてから4年、一向に芽が出る気配はなかった。
そんな彼の前に現れたのは中村清美。1977年山形県に産まれた清美は先天性の難聴で、飛行機の音を間近で聞いてようやく聞き取れる程度の感音性難聴1種2級だった。人が話す言葉や音楽は全く聞き取れない。
母親の康子は清美の将来を案じて、幼い頃から根気よく訓練をした。口の動きで会話を読み取り正しい発音ができるまで繰り返させる訓練だ。だが、一度も音を聞いたことがない清美にとって困難を極めた。
娘に出来る限りのことをしてやりたいという母親の猛特訓の成果で、幼稚園を卒業する頃には口を見て言葉を読み取り会話ができるようになった。
普通小学校に入学した頃の清美は歌が大好きだった。メロディはわからなかったが、松田聖子が歌う姿を見ながら踊ったり声を出すことが好きで、将来は聖子ちゃんのような歌姫になるのが夢になった。だが学校の授業で音をはずして歌うと、「音はずれてるよ」「気をつけた方がいいよ」と言われたことで人前で歌えなくなってしまった。

 

 

その後山形を離れ、千葉県にある聾学校に入学。卒業後は東京の一般企業に就職したのだが、本当にやりたいことを見つけられずにいた。
そんな時に見かけたのが路上ライブをする厚の姿だった。歌はわからなかったが、唇を読むと大好きなMr.Childrenの歌だとわかった。次第に惹き込まれた清美は厚に「私は耳が聞こえませんが、今度隣で手話で歌を表現させて下さい。」と書いた紙を差し出した。厚が承諾し、これがアツキヨの出会いとなった。
二人は毎週路上でライブをするようになった。厚の歌に合わせて清美がサインボーカルと呼ばれる手話で踊る。二人は諦めかけていた夢に向かって歩き出し、アツキヨ(アツシとKiyo)というユニットが誕生した。
厚さんの所属事務所であるオフィスYAMATOの大和正明さんは、最初は反対した。年月をかけてもできるかどうかわからない、と思ったのだ。それでも二人は夢に向かって歌い踊り続けた。すると少しずつだが足を止めてくれる人が増えた。

 

こうしてようやく二人の活動が軌道に乗り始めた頃、子供の頃の夢が歌姫だったが無理だとわかっている、ということをキヨは話した。厚はそれを笑いながら話すキヨになぜか心が痛んだ。

その翌日、厚は昨晩作ったというオリジナルの曲をキヨに見せた。厚は不思議な体験をしていた。キヨの話を聞いた後、自然に歌詞とメロディーが湧いてきたのだ。

 

「きっと誰もがキセキをおこす力をもってるよ あきらめちゃダメさ もうすぐおこるキセキを信じて」

 

いい歌だと褒めるキヨに、厚は一緒に練習して歌ってみないかと誘った。これ以上迷惑をかけられないというキヨに、厚は「夢をあきらめかけていた時に、一生懸命なキヨの姿を見てもう一度頑張ってみようという気になれた。だから一緒に夢を叶えたい」と答えた。
翌日から二人の猛特訓が始まった。まずは、キヨが厚の指示に従って「ド」の音が出るまで声を調整していく。次にレ、ミ、ファと続けていき、通常はこれで音程が身に付くのだが、「腹から声を出すように」と言われてもキヨにはそれは非常に困難なことだった。

 

通常、人が歌を歌う時は、伴奏など周辺の音と声を聞き比べ、無意識に高低を調整していく。だがキヨはその両方が聞こえないため、音程を取ることができないのだ。不可能に近い状態にあっても二人の練習は毎日続けられ、だいたいの音階を覚えるだけで数ヶ月を要した。

2002年9月、ついにキヨの歌がライブで披露されたが、数ヶ月に及ぶ練習の成果は全く現れなかった。キヨはこの時、自分の限界を痛感していた。しかし厚は決して諦めず、キヨも練習に励んだ。そして2003年1月、アツキヨにとって初めてのCDレコーディングが決定した。

 

だが、なかなか思うようにならず、満足できるレベルとはほど遠かった。キヨは壁にぶつかり、結局満足できるレコーディングはできなかった。
キヨはやはり自分には無理だったと覚悟していた。だが路上ライブのいつもの場所に行くと、厚は「練習しよう」と言った。自分には無理なこと、そんな気持ちが厚にはわからないとその場から立ち去ろうとしたキヨに、厚はノートを手渡した。ライブでファンに書いてもらっている応援ノートだった。
「一度はくじけてしまったけれどやっぱり頑張りたい」「聞こえないと言われている娘のために来ました。希望が持てました。がんばって。」
ノートには数多くの励ましの言葉が溢れていた。

 

 

厚は「自分もこの中の一人だから。」と言った。そして、どんなに時間がかかってもいい、二人で奇跡を起こそうとキヨを励ました。
二人の長い旅が始まった。聞こえない以上、体で音程を覚えていくしかない。気の遠くなるような時間が必要だったが、厚は決して見放そうとしなかった。やがてキヨの口から「無理」という言葉は出なくなった。

 

二人の姿は新聞記事にもなった。それは、二人のライブに感動した一人、元オリコン・エンタテインメントの岩澤永久さんのお陰だった。岩澤さんはそれまで数多くのライブを見てきたが、これほど感動したコンサートはなかったと思い出す。

 

そんな後押しもあり、2004年には大手レーベルからCDデビューも果たした。さらに2005年、二人の歌はNHK「みんなのうた」に採用された。そして2006年には二人の活動が高校の英語教科書に「アツキヨストーリー」として紹介された。そこには「諦めなければ夢は叶う」と書かれていた。

今年2月、東京・北千住。二人は出会った北千住の路上でライブをした。二人が出会ってから7年の歳月が経っていた。そこで二人は「kiseki~もうすぐおこる奇跡を信じて~」(作詞・作曲 佐々木厚)を披露した。キヨが歌の練習を始めて実に6年が経過した。

 

厚さんは「諦めなければ何だってできる、という思いを、キヨにもっともっと歌を上手になってもらって多くの人に聞いて頂きたいと思う」と話す。キヨは「アッちゃんと出会って本当に良かったなぁ、と思います」と話してくれた。
現在二人は、イベントや学校、施設など全国各地を回って活動を続けている。二人が目指すもの、それは大人も子供も障害者も健常者もみんなが楽しめる音楽。「あきらめなければ夢は叶う」。アツキヨは今日も歌い続けている。

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